2014年12月22日月曜日

備忘録

ここは、私の日々の戯言をつらつらと綴った真面目なブログです。

前回書いたブログに、赤より青が好き。と書いたのだけど、
実は書いたその日に赤いセーターを買っていた私。
ブログを書いた後で気付いて驚いたと同時に笑った。

一番衝撃だったのはつい数時間前の事をすっっっ・・かり忘れてしまっている事。
まじで怖い。脳みそ、もうちょっと頑張ってください。

こんなに無意識に赤を選んでたとすると、本当は赤の方が好きなのかな?
青が好きな自分は後天的で赤が好きな自分は先天的。
そんな気もする。
またそういう事を考えておもしろがっています。

当たり前だけど人間の性質って、
変わる部分と変わらずそのままの部分とあるな。
と時間が教えてくれました。

ずっと時間は止まる事なく生きていて、
経験が減る事はなく増えて行く。

記憶の記録の中で
必要の無いものから必要なものを見出して、
必要の無いものは忘れていってるのかな。

私は忘れすぎてる気がするけど。
きっと忘れていても先天的にあるものがまたひょこっと顔を出してくれたりするはず。
と思い込む。

人それぞれ記憶の範囲も深さも個性あるなー。

残った記憶(記録)はカテゴライズされていく。
人はカテゴライズするのが好き。

みんな経験が違うのに
大多数の論理的なカテゴリーで物事を見て安心する。

簡潔な説明や会話に便利。
でもそれはコミュニケーションまで到達しなかったり。

その大多数のカテゴリーなんて、
ほんとうは、ぼんやりしたものじゃないのかとも思う。

経験が増えれば増える程に、
カテゴリーの不必要さを感じる事も増えて行く。
それは100%では決して無い。

安心はするけど、
本当は、どれにも当てはまらないものを求めていたりする。

びっくりしたいが為に、
既存のカテゴリーが用意されているのかもなぁ。

安心とびっくり、両方欲しい人間は、
統計したカテゴリーを都合良く引っ張り出したりしてる。


共感が、素晴らしいわけではない。
理解し難いから、物と人との間にもコミュニケーションが生まれる。
ってシンプルやん、そりゃそーか。
人と人の間も然り。


今年ももうすぐ終わる。瞬時。
人生なんてあっという間〜
来年も、1日1日を大切に毎日を楽しく、やってこ〜




 こないだ久々にシルクの製版をした。
 でっかい感光マシーン。かっこいい。






 先月2版で刷ったPS版
 赤 と 青。
 原画はポスカで描いた。
 PS版の製版も、上の写真のマシーンを使います。




 
 最近ハマったコラグラフ。
 版の上に乗せたものの凹凸が紙に出て面白い。
 厚紙等に、
 メディウム(つるっとした質感)やモデリングペースト(ざらざら)等の
 地塗り材の質感で差をつけて絵を描く。
 銅版と同じプレス機を使い、インクの詰め方も銅版と同じ。
 インクはリトグラフのものを使った。
 




 
  何度もやり直して苦労した銅版2版。
 やっぱり向いてないわ!と言い放ったりしたっぽい。
 (完成したら嬉しさがそれを消し忘れる笑)
 銅線の絵。
 1版目は黒藍のインク、
 2版目は白黄にしたけど、白っぽく乗っかる感じは出ずに黒っぽく出るのね。
 





  

2014年11月23日日曜日

昨日のメモ

昨日つけたメモが、何のメモなのか思い出せない。
まじで。こわい。
そしてGoogleで検索する。という行為を最近よくしているな。
検索して解決する時としない時はごぶごぶ。

昨日のメモの意味を決めるのは今日の自分次第でした。
メモを取る癖って全然意味無い。

でもつけないと不安だし本気で完全に忘れてしまう。
やっぱつける癖を直すほうが怖い。
ぼーっとしていてレジに持って行った品物が高かったの、
支払ってから気がついてお財布すっからかん。

老後は逆にうっかりさんからしっかりさんになっていたらいいな〜



昨日、私の大切な芸人(友人)が言った言葉が印象的だった。
 
 誰かにめっちゃくちゃ優しくされたり大きな愛情を貰った時、
 自分の中の悪い部分がポロっと取れてどっかへ行っちゃうねん。

それを言った彼女はとても可愛かった。
そしてとても上手い表現だ。

私も多々ある。
人に優しくしてもらうと、一瞬自分の小ささが見えてその瞬間、
それがポロっと剥がれて消える。
そして、もしその逆が起きた時は、自分の嫌な部分や良い部分ってどうなる??
とか考えたりした。

色の持つ意味を考えた。
青が好き。
赤も結構好きだけど、青をよく選ぶ。

小さな頃は、女の子の友達はみんなピンクとか赤のモノを身につけてて、
女の子が主役になれる色だとわかっていて、本当は好きなんだけど、
みんなとカブる方が嫌で、青を選んでいた。

それって結局目立ちたかった自己主張なのかな??
恥ずかしがりやだったので目立ちたくはないけど、
でもやっぱり、それで自己主張していたのかも。

だからかな?青は赤よりもなんか付き合いが長い気心知れた人間のような。
そんな過去があったからなのかはわからないけど
(結局それも今の自分が意味をつけるのだろう)

今は純粋に青にいつも吸い寄せられる。
だけどだけど、もうそれもわかりきっているから敢えて選ばない。
という行動をとる時もある。
どないやねん。ややこいわ。どこまでも天の邪鬼。


こないだのリトグラフで作った青にしばし見とれていた。




このインクではないけど、ちょっと前のリトグラフ2色。
これも青で刷ってた。






こちらは、PS版という、乳剤が塗られたアルミ版を露光機で露光してオフセット式で
刷る版画を初めてやった。
製版はシルクのようで、刷り方はリトグラフに似ている。
もともと写真向きの版画のようです。
そこら辺でフロッタージュしたものを使った原画。
クレヨンみたいな線は、子供用のクレヨンでもあるみたいだけど、
描く度にトロケそうなくらいめちゃくちゃ滑らかな描き味のクレヨンで。(名前忘れた)
これもまた!青!(濃紺)で刷ってる!
好っきゃなぁ〜〜〜





2014年10月31日金曜日

今日

ヘローーウィーーーン
寒くなって来た。

今日の午前は、自分のダメだった所を的確に指摘されて、
凄く軽くなり、
午後は、他人から見えている知らなかった自分を褒めてもらえて、
ずっしりとした喜びを得た日でした。

他人のふとした何気ない一言で生きてて良かったーーーーと叫びたくなる。
あーだこーだ考えだけがグルグルして思い通りにいかない自分が鎮座してるけど、
いきなり他人が救い上げてくれたりする!

人の言葉とかでグラグラしたりしない人になりたい。
でも、人の些細な言葉で感動するのって最高。

図太いけどとても心配性だから、
先の事を考えないようにしている。

でも版画をやる私の未来については、考えざるを得ない。
版画工房は本当に少なく、
版画の作業が出来にくくなる事はいつでもあり得る。

本当に面白い版画。
版画を通して色んな感覚が伸びていった。

まだまだ経験が本当に浅すぎて、
これが面白さか!
とか開けた気になる瞬間はこれからも何度も訪れるのだろうけど、
もし、出来なくなった時、出来ない状況の時には、
何が大事かとなると、
技法云々ではなく、どう表現するか。

今まで知った事、そしてそれが好きだという気持ちが大事になる。
好きという感覚はどこから来るのか。不思議。

突然降って来る宝物みたいな有り難いものだと思う。
いつでも、それを出来なくなっても、
しなくなっても、失っても、
それを好きだったこの感覚。
というものをずっと大切にしたいな。

大切にもっていれば、また違う道でも絶対何かが生まれる。
多分そうやって色々な事、やりたい事を出来る限りやってみた。

知りたいワクワク感は生き甲斐。
そしてそれを通して自分が知れるからいい。

出来ない事も沢山有るけど、
なるべく気になった事は、
何か言って来る声なども気にせず自分が納得いくようにやりたい。

自分の事だから。
その為なら恥も恥とせずやっていけたらいい。



最近の作品。

油絵具によるシルクスクリーンを使ったモノタイプ
偶然の重なりを楽しんだ。




エッチング&アクアチント
作業が面白い。肘から下、指先の感覚が面白い。



私の先生があみだした、これもシルクスクリーンを使ったモノタイプ。
思い通りにいかない、想定外の面白さを裏切らないのが魅力。










2014年9月27日土曜日

しやわせの秋

私はご飯を食べる事が大好きだから、
誰かと会う時はたいてい何を一緒に食べるか考えて、
美味しいものを一緒に食べて満悦な時を過ごしている。
会話と何かを食するのがセットになっている。
なんか行儀が悪そうだけど、すぐにそれをやっている。
食べるという至福の行為をしているか、
寝ているか、
悶々としているか、
何か作っているか。
が基本のライフスタイルだな〜とふと、思った。
年中そうだけど、気温が下がってくると一層かも。
そして版画も、なんとなく勝手に秋冬の温度感イメージの
銅版画のメゾチントを覚えた、秋。
あと、以前から興味のあったリトグラフも。

版画というくくりの中で色々試して、
どんなのを刷るか、と、
その版画によって全然違うテイストになるのを
どうやって楽しむかを模索するのだけど、
銅版画の雰囲気はあまり好きじゃなく、興味が無かった。
実際、ハッキリしない線とかで描くの、
なんかモヤモヤして
でもそのモヤモヤを何回も重ねて行くと、
結構クッキリになっていったりして、
ちょっとoh?!となりました。
そしてびっくりしたのが、
版が出来て、
刷るまでのインク詰めたりプレートマークを
拭き取ったり、プレス機回したり、
が、だいぶ好き!

正直、シルクより断然好き!
う〜〜〜〜ン、、完全に私はシルク向きだと思っていたし、
自分的にはシルクの方が可能性がいっぱいで、
パキっと出せるのも
スキージをひく瞬間とその後も大好きやのに、
断然、刷るまでの用意と、後片付け含め、銅版画の方が好き。
体が小さいからもあるのかな?
人間って道具を使う生き物なんやなぁ。
リアルにフィジカルな感覚も反映が大きいな。とも思った。

リトグラフも同じ。
銅版画の準備作業ほどの手に吸い付く感覚はないのだけど、
すごくサッパリしていて良い。
わりと好き。
でも冬はちょっと嫌やな。位。(水を使うから)
テイストは、銅版画よりは自分に向いている。
自分の表現としては、
銅版画<リトグラフ<シルクスクリーン(中でもモノタイプ)
となる。
でも作業としては、
シルク<リト<銅

そういう意味でも、やっぱり何か専門の道具を使う事が楽しいし、
その道具が持つ感触だったり時間性だったりも私には重要。
その間も格闘しているし、生きているから。
版画は、一瞬で絵を刷れるし何枚も刷れる分、
準備を色々しなきゃいけない。
その億劫さが
渋みを出すからほんとにおもしろいなぁ。

自分の表現するものと、それまでの作業。
この関係性についてにやにやと考えさせられてしまった。
悩んじゃうわ〜〜〜


そして、自分の作品の一部をまとめてみた。
自分の為になった。
これを見て自分が楽しんでるっていう。
まだ少量しか載せれてないけど、
たまにのぞいてくれる人とかいたら、
最高やなぁ〜





最近刷ったメゾチント↓ 
臭いが立ちそうな、埃臭さを想像しながらつくっていった。









リトグラフ↓ 
版に直接描いていって気付けばこうなっていた。
これは従来のやり方ではなく、ウォーターレスリトグラフと名付けられたのに、
全然水使いまくり。
新しく簡単なリトグラフ。
まだ安定してないのか、インクがあまり乗ってくれない。
慣れないとな。
左のグレーの方が版で、右が刷ったの。
また刷り直してもうちょっと濃く出たらサイトにのっけよう。









2014年9月2日火曜日

毎日が誕生日

夏の終わりに生まれました。
今年からようやく、めでたく?自分の年齢がわからなくなるようになりました。
こんな残暑の季節に生んでくれたお母さん、ありがとう。
そう、そしてようやく、今年の誕生日に、お母さんに
「生んでくれて、ありがとう」が言えました。
当たり前やけど、お母さんは、私のお母さんである前に、
人間であり女性であるんだな。
と強く実感する事があったから、言えた。
私も、一人の人間としても向き合いたい気持ちがはっきりとした。

先日、昔勤めていた縫製の仕事仲間が誕生日パーティーをしてくれた。

もう、その仕事を辞めてから結構経つし、
全然会わなくなったのにいまだにそうやって開催して持て成してくれて、
生まれてきて良かったなぁ〜これで来年の誕生日まで一年間幸せが保証されるなぁ。
と思いました。
感動させられた。
本当に人間として優しくて強くて可愛くて面白くて素敵で信頼出来る仲間。
そんな人たちがいるから、私もそう成ろう。と、めげずに頑張ろう。と思えるな。
いつもいつも、ありがとう。


嬉し鼻息で蝋燭の火ほとんど消える。のショット

ケーキが夢のように美味しすぎてびっくりした。






今日はこないだの版で4つ作品を刷った。

の内のひとつ。

タイトル!

街に馳せる空想。
としてみた。

始まりの意気込みはずっとは続かず、

途中で乱れて、
違うスタート地点を試みて寄り道するも、
どうせまた行き詰まって、
また原点に戻ってみて、
その気持ちでやっぱり上書き更新する15分間。の、作品。



もひとつ。






untitle


こざかしさとあざとさ。

好きなものをどうにか表したくて、
そんな自分も素直に出てしまう。


2014年8月22日金曜日

心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

今日も、最近ずっとやっているモノタイプを。
石油とシンナーに塗れまくった。
縫製の仕事も長かったし、シルクスクリーンや染色で、
手の関節はゴツゴツで皮はゴワゴワになったな。
私の手、恐竜みたい。

ちょっと試してみたかった事をやってみた。
なんか、やってみたい。と思いすぎると期待しすぎて、
刷り上げた瞬間もう盛り上がらない。
それに対して、気持ちが定まらないフヨフヨしてるときに、
どこが完成かわからないから、もういいや。
ってやつを刷ってみると、一番おもしろい結果となる。

数知れない人が知ってたりやってたりするジャンルを、

こんなにひとつの瞬間に拘って、
自己満足の積み上げが繰り返されて、
自分しか知らない経験があって、
それを作品にして一瞬にして人に見てもらうと、
見た人がそれぞれにそれぞれのタイミングで感情を経験するって、
おもしろいなぁ。
みんなみんな、全然違う人間。
完全にわかることは無い。
なのに、あ!って強い衝撃とか共感をふいにするから、良い。

わかろうとしても人の事はわからないし、

知ってるつもりでも全然知らない。
自分の事もなかなかわからない。
恥ずかしい事に、
恥ずかしがりやすぎるし、ずっと自分を直視できない小心者。
だったのも結構最近発覚した。
それ故救いようがない程に不器用で素直な表現が出来ない、
言葉づかいも思うように出来なくて疎かにして、
嫌いなフリをしてしまったり、
で、いつからこうなんだいつまでこうなのかと悩む年月も長過ぎると、
変に図太くなったり逆に傷つきやすくなったり、
複雑なんだかシンプルなんだか日によって違うな忙しいな!
ていうそんな心の経験も紙の上で凝縮されて見れる気がして、
結局穏やかな気持ちになっている自分。

しかし、ここ数年密に色々な感情を知った。
いつも意識する出来事、東北の震災、福島の原発事故から3年半。
大きく変わったのはあの時からで、
自分の中で何かが変わったり、決意したり、何かを見つけた人も多いだろうけど、
私は、探しているものはどんどん外から内に見つけるようになったと思う。

苦手だったけど、こうやって、

心の事を言葉にしたり作品に置き換えていくと、整理が着く。
心の整列。

いつも思い通りにいかなかった言葉使いも、ちゃんと見ていてくれる人、

大切な人、大切だと示してくれる人、
周りの人のおかげで、下手でもいいから少しずつ伝える勇気が出て来た。
いつ死ぬかわからないねんから伝えそびれて死んだら・・・!
それこそ恐怖。





あ、今夜深夜、
友達のパーティーが楽しみ!
ナイスに変なナイスガイ2人のナイスパーティー!

 innosence   @atmosphare

お家が近所のお世話になっているお友達と、
自転車でそこまで向かう道中から楽しいはずの、
そういうパーティー!
パーティーへ行く前の道中にしかないワクワク感で景色が倍きらきらしたりする。







写真は今日刷ったもの。
製版は、絵の具で黒く塗ったわら半紙を濡れた状態のまま
適当に手で千切って並べてコピー用紙で感光。
そこに油絵の具でペイントして刷った。
我ながらわら半紙千切る技、イケてた◎ 
アウトラインがボケてて日本人的感覚のトリミング。
1枚目の写真はスクリーン
2枚目はそれを刷ったもの。














2014年8月21日木曜日

新しい世界

!new my room!
新たな気持ちで自分の今を綴る場所新設。

ここ最近の私は、以前のようなテキスタイル的なシルクスクリーンの使い方から、
紙にシルクスクリーンで絵を刷って表現して作品を作るようになった。
シルクスクリーンという技法を通して、こんなに感覚の違う世界へワープできるとは思わなかった。

一つ一つの作品を作っていく過程で、技術や知識を学びながら感じる事を通して、
今まで知らなかった自分を、自分の作品から知れている。

ルーツを振り返ってみると、
小さな頃は漫画家になりたくて絵ばかり描いてたのが、14歳くらいから描かなくなっていた
それに気付いたのが20歳位で、そこから意識的に描いたりしてもずっとしっくりいかず、また子供の時みたいに描きたいと思っても無理だったし諦めた。

でもやっぱり描いたり作ったりする楽しさは覚えていて、9年程前、描いたイラストをTシャツにする為に遊びでシルクスクリーンをやったのが今から思うとリスタートだった。
それから布でパターンを作るようになったりした。

そこまでは楽しかった。頼まれたものを描くのも楽だった。
けど、うまく言えないけど作りたい生み出したい本能に対して精神的に深い部分で行きたい所まで行けないというか、いつも壁があるような、人の作品を通して自分を見ても同じ壁だし、というのがあった。
でも今の自分はその壁は越えられつつあると思う。
また新たな壁はどんどんできるんだろうけど。

版画って、ある時間を有する絵やパーツを、一瞬で平面に転写するという時間の感覚がとても自分に合っているし、表現する上で、そこ事態も欠かせない作品の一部です。

私の尊敬する師匠である先生は私の作品を見て、「ぱっと見は、抽象的だけど、完全に具象画だね。」と言った。目から鱗。
具体的な表現したい事、イメージが事前にあるから。
感覚的には無意識だけど、作品を見てそういう発見があるし、その発見が今後の基盤にもなったりする。
たくさんもっと知りたいな。

以前より遥かに自分に素直だなと思える事が嬉しい毎日。
やっと、ちゃんと心と作品が結びついた感覚がある。
今の運命に感謝。

私にとって、自分の心の中を言葉にするのは勇気がいるし、難しいけど、new blog 一発目、自分の事上手に書けたかな。

写真の作品は、私の師匠があみ出したモノタイプ。
3枚目が原画。厚みのある紙に筆圧の凹凸で絵を描いて、
自分で原画にトリミングしてインクを落としてから、即座に凹に残ったインクを紙に転写する。
スピーディー且つワンショットの版画。
思考に到達する前の瞬間は自分に嘘はつけないという発見。